だれかをキライになりそうになったら

あなたは、晴れた日の草原にみっしり生えてるクローバー、のうちの一輪。もちろん、あの人もクローバー。
同じ根っこから生えている。風に揺れてる。







自分達がいるビルを、神様みたく上から見てみる。ちょっと汚いオフィス、最寄りの駅、都市、
流れている大きな川、海、日本、地球。グーグルmapみたいに。世界は広くて美しい。
そのなかで、粉砂糖のようなつぶつぶである我々。





彼/彼女には家族がいる。たとえば弟。弟はとある就職試験に落ちて凹んでいる。
その人は言う(お味噌汁をすすりながら)「ふーん。……………たまたまだよ」弟「うん」












町で赤ちゃんや子供を見かけたら、じっと見てみよう。
あの人もこんな小さかったことがある。
親御さんは、かわいいねかわいいね〜って育てただろう。





ある休日の彼/彼女。蛍を見て、(キレイだな…)なんて思う。
あなたもこの夏、蛍を見て、(キレイだな…)なんて思う。海でも可。

















キライになれるほどに相手のことをよく知ってるなんて、
それはかなり、「好き」に近い。






第一印象は、99.7%くらい間違いである。






キライはキライとしておける人たちが、
夫婦になっていくもんです。














「私」をミルフィーユの皮をめくるように剥いでいったら、
最後には、白い粉砂糖くらいの何やらしか残らなかった。つまり、「あの人」も、白い粉砂糖程度のもんなのだ。





だれかをキライにならなくても、
あなたの輪郭はもう既に、じゅうぶんクッキリしている。





気分を変えて、「人間関係」ではなく、
「人間木関係」とか「人間猫関係」とか「人間カナリア関係」
について考えてみよう。








自分の人生を思い返してみる。人生の一時期を共に過ごし、すれ違っていった人たち。
小学校の頃、よくケンカしたあの子は元気だろうか。みんないつか、あなたのそばから居なくなってしまう。
そして100年後には、知っている人は皆、この世を去っている。あの人もいないし、もちろんあなたもいない。







どうせ、みんないなくなるのだ。
あすの天気がよかったら、
お茶にでも誘ってみるのはどうだろう。